東京家庭裁判所 昭和44年(家イ)726号 審判 1969年4月17日
申立人 松原昭治(仮名)
相手方 松原秀夫(仮名)
主文
相手方と申立人との間に親子関係が存在しないことを確認する。
理由
申立人は主文同旨の審判を求めて本件申立に及んだものであるが、相手方は調停期日に出頭しないので調停委員会の調停を成立させることができない。しかしながら当庁家庭裁判所調査官菅沼光雄の調査報告によれば、相手方は申立人が自分の子でないことについては、これを争わず、ただ申立人の母松原カヨの所業に激怒しているため裁判所への出頭を肯じないものであつて、主文同旨の審判がなされることについては異存のないことが窺われる。
関係戸籍謄本の記載、前記家庭裁判所調査官の調査報告および申立人の母松原カヨ審問の結果を総合すると、次の事実を認めることができる。
相手方と申立人法定代理人親権者母松原カヨ(旧姓高秋)とは昭和二〇年一一月三日結婚式を挙げ相手方の本籍地で同棲、昭和二一年三月三〇日婚姻の届出を了し、長女邦子(昭和二一年七月三日生)、二女京子(昭和二三年三月一日生)、長男清(昭和二五年二月七日生)、三女元子(昭和二六年一二月一九日生)をもうけたものであるが、長男は昭和二六年三月一八日、三女は昭和二八年三月二七日、それぞれ病死した。これよりさき夫婦は昭和二五年に長男が生れたのち上京し、板橋区に居住して相手方はその実兄のもとで働いていたが、カヨは長男と三女が相次いで死亡したのち相手方との夫婦生活に見切りをつけ、昭和三一年九月ころ長女と二女を連れて栃木県の実家に戻り、長女は兄創一、二女は弟英三のところに預けて、約半年後に単身で上京し、豊島区池袋方面で家政婦や食堂従業員として働らいていた。
昭和三三年ころ、カヨは当時働いていた食堂に客として来た野末貞三と出会い同人が相手方の妹の夫の友人であつて兼ねてからの知合いであつたことから親しくなり、昭和三四年春ころ同人が子供の面倒も見てやるから一緒になろうというので、池袋方面に間借して同棲し、長女と二女とを引き取つて同棲することになつた。かくてカヨは野末貞三の子である申立人を懐胎、昭和三五年五月二七日申立人を分娩したところ、相手方とカヨとの協議離婚届出がなされた昭和三五年四月二八日から三〇〇日以内の出生であるため、申立人はカヨからの出生届出により相手方の二男として戸籍に記載された。
相手方とカヨとは、カヨが長女と二女とを連れて実家に戻つた昭和三一年九月ころから今日まで会つておらず、夫婦関係は全く断絶していたものであり、相手方は本件申立のなされるまで申立人の出生を知らなかつたものである。なお野末貞三とカヨとは昭和三六年二月二日婚姻の届出を了し、その間に長女裕子(昭和三七年一〇月二八日生)がある。
以上の事実が認められるところ、右の事実によれば申立人が相手方の子でないことは明らかであつて、民法第七七二条の嫡出推定を受けない場合に当り、しかもその事実関係については当事者間に争いがない。
よつて当裁判所は調停委員佐々木善太郎、同和田美代枝の意見を聴き、当事者双方のため衡平に考慮し、一切の事情を観て、事件の解決のため主文同旨の合意をなすべきことを正当と認めて当該合意に相当する審判する。
(家事審判官 田中恒郎)